ボルヘスの語る『龍』
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| 中国の天地創造によれぱ、ふたつの相補い合う永遠の原理<陰>と<陽>との律動的結合から一万の存在、すなわち原型(世界)が生まれた。陰に照応するものとしてば、集中、闇、偶数、寒さがあり、陽に照応するものとしては、成長、光、能動、奇数、熱がある。陰の象徴には、女、大地、朱色、谷、川床、虎がある。陽のそれには、男、空、青、山、柱、竜がある。 中国の竜(lung)は四霊獣のひとつである。(ほかには一角獣、鳳凰、亀がある)西洋の竜はせいぜい恐怖をもたらすだけで、最悪の場合にはおかしな姿になる。ところが中国神話の竜は神々しく、獅子でもある天使のごときものである。司馬遷の『史記』に記されているところによると、孔子は守蔵室吏つまり図書館吏の老子のもとへ敷えを求めに赴き、その訪問の後でこう語った。
陽と陰が相互に演ずる業を象徴する有名な円形の図を皇帝にみせたのは、黄河から姿を現わした竜、または竜馬だった。ある皇帝は厩に鞍をつけた竜と荷車用の竜を飼っていた。ある皇帝は竜を常食とし、その王国は栄えた。ある著名な詩人は、傑出していることの危険の喩えどして、こう書いた。「一角獣は冷菜として果てる、竜ば肉饅頭として果てる。」『易経』すなわち『転変の書』において、竜は知恵を表わす。数世紀にわたって、それは皇室の象徴であった。皇帝の座は竜座と呼ぱれ、顔は竜顔といわれだ。皇帝の死を布告する際、皇帝は竜の背に乗って天へ昇ってしまわれたというふうにいった。 *
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『幻獣辞典』P.60,61 |
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| 竜はさまざまな姿になる能力があるが、そうした姿は謎につつまれている。一般に想像されている姿は、馬のような頭と蛇の尾をもち、翼が(あるとすれば)両側に生え、鉤形の爪をそれぞれ四本ずつもつ四本の足がある。ほかの動物との類似が九つあるともいわれる。すなわち角は雄鹿、頭は駱駝、目は悪魔、首は蛇、腹は蛤、鱗は魚、爪は鷲、足跡は虎、耳は雄牛にそれぞれ似ている。耳がなくて、角が耳の役目をする種類の竜もいる。竜は真珠といっしょに描くのが習慣となっている。真珠は竜の首にかかっていて、太陽の象徴である。この真珠のなかに、竜のカが存在する。真珠を盗みとってしまえば、この獣は無力となる。 歴史によれば、最古の皇帝たちは竜であった。竜の歯や骨や唾液はどれも薬効がある。竜は思いどおりに、姿をみせたりみえなくしたりすることができる。春になると天空に昇り、秋には海中ふかく潜ってしまう。翼のない竜もいるが、勢いにまかせて空を飛ぶ。知られているものは数種に区別される。天竜は神々の宮殿を背負っている。さもなくばこれらの宮殿が地に落ち、人々の住む町を破壊してしまう。神竜は風を起こし、人問のために雨を降らせる。地竜は小川や川の流れを支配する。地下竜は人聞に禁しられている宝物の番をする。仏教徒たちは、竜の数が中心を同じくする数多くの海に住む魚の数に劣らないと断言する。宇宙のどこかに、竜の正確な数を表わす聖なる暗号が存在するというのだ。中国人はほかのあらゆる神性存在以上に、竜の存在を信ずる。なぜなら竜はさまざまに変化する雲の形となって、しぱしば現われるからだ。同様に、シェイクスビアもこういっている。「ときには竜のような雲がみえる。」 竜は山々を支配し、土占いとむすびつけられ、墓の近くに棲み、儒教とつながりをもち、海神でもあり、陸にも現われる。 海竜の王たちは水中の絢爛たる宮殿に棲み、蛋白石や真珠を常食とする。この王たちは五頭いる。長は中央におり、残る四頭が基本方位に照応する。それぞれ体長は三、四マイル(4.8〜6.4キロメートル)ある。姿勢を変えると、山々が揺れ動く。彼らは黄色の鱗に身をかため、鼻面は髯で覆われている。足と尾は毛むくじゃらで、燃えるような両眼の上に額が突き出て、耳は小さくて細く、ロをあんぐりと開き、舌は長く、歯は鋭い。海竜が海上に姿を現わすと、渦巻きや台風が起こる。空を飛ぶと、嵐を吹き起こし、市じゅうの家の屋根をずたずたにし、国じゅうに洪水を起こす。竜王たちは不死であり、どんなに遠く離れていても、言葉を使わずに互いに伝達を行なうことができる。三番目の月に、彼らは上天にその年の報告をする。 *
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『幻獣辞典』P.74,75 |
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| 高志の八岐大蛇は、日本の天地開闢神話においてとくに名高い。これは頭が八つ、尾が八本あった。目はほおずきの実のように真赤で、背には松や苔が生え、ひとつひとつの頭には樅が芽を出していた。這うと、八つの谷と八つの丘にまたがって伸び、腹にはいつも血糊がついていた。七年間のうちに、この獣は一国の王の娘である七人の乙女を食べてしまっており、八年目に末娘の櫛名田姫を食ぺようとしていた。姫を救ったのが素戔鳴尊という神である。この英雄は八つの入口のある円形の垣根をつくり、それぞれの入口に八つの台をこしらえた。この台の上に、彼は米でつくった酒の槽を置いた。八岐大蛇がやってきて、それぞれの槽に首を突っ込んで酒を飲み、まもなくぐっすり眠ってしまった。そこで素戔鳴尊は首を全部切り落とした。首からは血の川が流れた。大蛇の尾のなかにあった剣は、今日にいたるまで熱田神宮に祀られている。この出来事のあった山は昔は大蛇の山といったが、いまでは八雲の山という。目本で八という数は不思議の数であり、多数を表わす。エリザペス朝イギリスでは四十という数がそうだった(「やがて四十の冬がきみの額を攻め囲んで」)。日本の紙幣はいまでもこの大蛇退治を記念している。 救った者が救われた者と結婚したことはいうまでもない。ギリシア神話でも、ペルセウスがアンドロメダーと結婚する。 古代日本の天地開闢と神々の系譜の英訳(『日本人の聖典』)のなかで、ポスト・ウィーラーはギリシア神話のヒュドラー、ゲルマン神話のファーヴニル、エジプトの女神ハソールの同類の伝説をも記している。ハソールにはある神が血のように赤い酒を飲ませてこれを酔わせ、人類の滅亡を救った。 *
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『幻獣辞典』P.78,79 |
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| テューポーン(タルタロスとガイアのできそこないの息子)と半美女で半蛇のエキドナとによって、レルネーのヒュドラーが生まれた。「ディオドロスによれば頭が百、シモニデスによれぱ五十、アポロドロス、ヒュギヌスその他のより受け入れられている説によれぱ九つあった」と、レンプリエアは記している。しかしこの獣がもっと恐ろしいのは、首をひとつ切り落されると、すぐさまその場所からさらにふたつの首が生えることだ。その首は人問に似ていて、真中の首は不死である。ヒュドラーの息は水を有毒にしてしまい、野を褐色に変えた。眠っていても、まわりの空気のよごれで人問の死ぬこともあった。ユーノーがヘラクレスの名声を減じようとして、ヒュドラーを育てた。 この怪物は不死の運命を定められていたようだ。棲み家はレルネーの湖に近い沼地にあった。ヘラクレスとイオラーオスがこれを捜しに出かけた。ヘラクレスがその首を撥ね、イオラーオスが焼けた鉄を血のふき出る傷口に当てた。新しい首が生えてくるのをとめられるは、火だけだっだからだ。最後の首、不死の首をヘラクレスは巨大な丸石の下に埋めた。その場所にその首は今日まで残っていて、憎しみの念に燃えながら夢をみている。 その後の怪物退治でヘラクレスは、ヒュドラーの肝汁に浸した毒失を用いて、相手に致命傷を負わせた。 大蟹がヒュドラーの助けにやってきて、この多頭怪物と闘っているヘラクレスの踵を挟んだが、ヘラクレスはこれを踏み殺した。ユーノーはこの蟹を天空に置いた。それがいまは星座となり、巨蟹宮となっている。 *
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『幻獣辞典』P.116,117 |
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| クラーケンはザラタン、およびアラビア人の海竜または海蛇の北欧版である。 一七五二年から五四年にかけて、べルゲンの司教、デンマーク人のエリック・ポントピダンが『ノルウェー博物誌』を出版した。読者を楽しませ、真に受けさせてしまうことで有名な著作である。この書によると、クラーケンの背は横幅一マイル半で、その触手でどんな大きな船でも抱き込んでしまう。巨大な背は島さながらに海上にはみ出ている。司教はこう決めている。「浮遊する島々はかならずクラーケンである。」彼はまた、クラーケンが液を吐き出して海を黒く変える習性があるとも書いている。この記述から、クラーケンは蛸を巨大にしたものだという説が生まれた。 テニソンの少年時代の作に、この奇妙な動物を歌った詩がある。
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『幻獣辞典』P.126,127 |
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| ナーガはインド神話に属する。これは大蛇であるが、しぱしば人間の姿になる。 『マハーバーラタ』の書のひとつで、アルジュナがナーガの王の娘ウルピに言い寄られ、きっぱりと、しかし穏やかに彼の貞節の警いのことを娘に思い起こさせる。娘は彼に、彼の務めは不幸な者を慰めることだと語る。主人公は娘に一夜を許す。釈迦がいちじくの木の下で冥想していると、風と雨に打たれる。憐れんだとあるナーガが七重に巻きつき、七つの頭を釈迦の上に広げて一種の傘をこしらえる。釈迦はこのナーガを信仰に帰依させる。 ケルンはその著『インド仏教提要』のなかで、ナーガを雲のごとき大蛇といっている。彼らは地下ふかくの宮殿に棲む。大乗の信者の言い伝えでは、釈迦は人類にひとつの法を、神々にもうひとつの法を説いた。この後者の法―――秘密の法―――は大蛇たちのいる天と宮殿に隠されていたが、彼らは数世紀のちにそれを僧ナーガールジュナに明かした。 中国の行脚僧法顕が五世紀はじめに記しているインドの伝説がある。
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『幻獣辞典』P.150,151 |
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| ドミニコ会修道士ヤコブス・ア・ヴォラジネが十三世紀に著した聖人伝『黄金伝説』は、今日でこそ顧みられなくなったが、中世においては繰り返し愛読されたもので、多くの興味ぶかい伝承がはいっている。この書は数多くの版と翻訳が出て、そのひとつにウィリアム・カクストソの印刷した英訳がある。チョーサーの「第二修道女の話」はラテン語版『黄金伝説』に素材をとっている。ロングフェローもまたヤコブスの書に動かされ、三部作『クリストゥス』のひとつに『黄金伝説』という題をつけている。
ヤコブスの中世ラテン語から、聖マルタの章(CV〔一○○〕)を一部訳出する。
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『幻獣辞典』P.155 |
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| これは火中に棲む小ざな竜であるだけではなく、(ある辞典によれぱ)「虫を食う両棲類で、真黒いなめらかな皮に黄色の斑点がある。」このふたつの特徴のうち、よく知られているほうは想像上の特徴である。それゆえ本書にサラマンドラを入れても奇妙ではあるまい。
『博物誌』第十巻でプリニウスが述べているのによると、サラマンドラは「きわめて冷たいので、氷と同しように火に触れただけで溶ける。」のちに彼はこのことを熟考し、かりにサラマンドラについて妖術師の語ることが真実なら、これを使って火事を消せるだろうと、懐疑的に記している。第十一巻で、彼は四つ足で翼のある虫について語る。これは「ピュラリス」あるいは「ピュラウスタ」と呼ばれ、「キュプロスの銅を溶かす炉のなかに、火の真只中に」棲む。空気のなかに出てきて少しの距離を飛ぶと、たちどころに死んでしまう。人問の記憶にあるサラマンドラが、いまや忘れられたこの動物と混合した。 ブェニクスは神学者たちによって肉体の蘇りの証明に用いられた。サラマンドラは肉体が火のなかで生きられる証しとして用いられた。聖アヴグスティヌスの『神の国』第二十一巻に、「現世の肉体は火によって破壊されないかどうか」という章があり、その冒頭にこうある。
修辞的効果の工夫としてサラマンドラやフェニクスに頼る詩人もまた多い。ケベードは「愛と美の功績を称える」『スペインのバルナッソス』第四巻のソネットで、つぎのように書いている。
十二世紀中葉、王のなかの王プレスター・ジョンがビザンティウムの皇帝に送ったものだと称する偽造書簡がヨーロッパ中に流布した。この書簡は不思議の数々のカタログで、金を掘る巨大な蟻、石の川、魚の棲む砂の海、王国での一切のことを映す塔のごとく高い鏡、一個のエメラルドからつくられた笏、人間の姿をみえなくしたり、夜を照らしたりする小石などのことが書かれている。その断片のひとつにはこうある。「わが王国はサラマンドラという名で菊られる虫を産出する。サラマンドラは火中に棲み、繭を出す。これを女官たちが紡いで、布や衣服を織る。この織維を洗ってきれいにするには、火のなかに投げ込む。」
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『幻獣辞典』P.178〜181 |
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| われわれにとって大海とはひとつの海、あるいはいくつかの海から成る一体系である。ギリシア人にとって、それは陸のかたまりを取り囲む単純な円環状の川であった。すぺての水の流れはそこから発し、その川には出ロも水源もなかった。それはまた神、つまりティーターン、おそらくはティーターンたちすぺてのうちでもっとも時代の古いものであった。というのは『イーリアス』第十四書で、「眠り」がそれを神々の生れ出た源だと称しているからだ。ヘシオドスの『神統記』では、それは世界中の川――その数三千――の父である。アルペイオス川とナイル川がそれらを統率する。流れるような顎鬚を生やした老人がふつう大洋=川を擬人化したものだった。数世紀後、人間はもっとよい象徴を見つけた。 ヘラクレイトスはつとに、円周においては始まりと終わりが単一の点であるといっていた。大英博物舘に保管されている三世紀ギリシアの魔よけは、この無限性をもっともよく示す像を与えてくれる。それは自分の尾をくわえる蛇、アルゼンチンの詩人マルティネス・エストラダが実に美しく表現したように、「尾の端で始まる」蛇である。スコットランドの女王メアリーは金の指輸に「わが終わりにわが始まりあり」、おそらく真のいのちが死後に始まるという意味の文句を刻んでいたという話が伝わっている。ウロボロス(「尾を貪り食らうもの」の意のギリシア語)は、中世の錬全術師たちが象徴として採ったこの動物の学名である。関心をおぽえる向きには『心理学と錬金術』というユングの研究論文の一読を勧めよう。 世界を取り巻く大蛇は北欧の宇宙論にもでてくる。それはミズガルズソルムル――文字通りには、真中にある庭の爬虫の意で、真中にある庭とは大地を表わす――と呼ぱれている。新エッダで、スノリ・ストルルソソはロキが一匹の大蛇と一頭の狼の父となったことを記している。これらの獣が大地の破滅となるだろうという託宜が神々に警告を与える。フェンリルというこの狼は、六つの架空のもので織られた紐で縛られる。六つとは「猫の足音、女の鬚、石の根、熊の健、魚の息、鳥の唾」である。ヨルムンガンドというその大蛇は 「陸地を取り囲み海へと投げ込まれ、そこで非常に大きく有ったために、いまや大地を取り囲み、自分の尾をくわえている。」 巨人の国ヨーツンヘイムで、ウートガルザ=ロキがトール神に対し、とある一匹の猫を持ち上げてみよと挑戦する。トールは全力をふりしぼるが、その猫の前足一本しか持ち上げることができない。猫は本当は大蛇である。トールば魔法によって欺かれていたのだ。 神々の黄昏において大蛇は大地を、狼は太陽を貪り食う。 |
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『幻獣辞典』P.212,213 |
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| 爪と翼をもち、背が高くて、からだの太い大蛇というのがたぶん竜にいちばん適切な描写である。真黒であっても、つや光りしていることが不可欠である。同じく不可欠なのは、火と煙を吐き出すことだ。上の描写はむろん今日の姿をいっている。ギリシア人は爬虫類の巨大なものなら何にでも、竜という名を与えたようである。プリニウスによれぱ、夏、竜は象の血を欲しがる。象の血は非常に冷たいからだ。竜は象に突然襲いかかり、からだを巻きつけ、歯を食い込ませる。血のなくなった象は地面をころがり、息絶える。竜もまた、その餌食の重みに押し潰されて死ぬ。そしてまた、エチオピアの竜はよりよい草地を捜し求めて、定期的に紅海を渡り、アラビアヘ移動するとも書いている。これを果たすために、四、五頭の竜がからだを巻きつけ合い、頭を水面からもたげたまま、一種の船の形になる。プリニウスにはまた、竜からとれる薬のことを記した一章がある。それを読むと、竜の目を乾燥して、それから蜂蜜を掻き混ぜると、悪夢に効果のある塗布薬ができるとある。竜の心臓の脂肪をガゼルの皮に入れ、雄鹿の筋で腕にくくりつけておくと、訴訟はかならず勝つ。竜の歯をやはりからだにくくりつけておくと、主人の寵愛や国王の慈悲に恵まれる。いくぶん懐疑をこめて、プリニウスは人問を無敵にする妙薬を挙げている。それはライオンの皮、ライオンの骨髄、競馬で優勝したばかりの馬の泡、犬の爪、そして竜の尾と頭を調合したものである。
『イーリアス』第十一書には、アガメムノンの楯に三つの頭をもつ群青の竜が描かれているとある。数世紀後のノルウェーの海賊たちは楯に竜を描き、細長い船の柚先に竜の頭を彫刻した。ローマ人のあいだでは、鷲が軍団の軍旗であったように、竜は歩兵隊の軍旗だった。これが今日の竜騎兵の起こりである。イギリスのサクソン系国王の旗印には竜が描かれていた。こうした竜の姿の目的は散の軍勢に恐怖をもたらすことだった。アティスのバラッドにこうある。
西洋では、竜はつねに邪悪なものと考えられた。英推(ヘラクレス、ジーグルト、聖ミカエル、聖ジョージ)のおきまりの偉業のひとつは竜を打ち負かし、殺すことだった。ゲルマン神話では、竜は宝物の見張りをしている。七、八世紀仁イギリスで書かれた『ペオウルフ』でもそうで、三百年ほどもの間、宝を守っている竜がでてくる。とある逃走した奴隷が竜の眠る場所に隠れ、杯をひとつ盗む。目を覚ますと、竜はその盗みに気付き、盗人を殺す決心をする。しかし何度か戻ってみては、その杯を置き忘れただけではないか確かめる。(この詩人がその怪物に実に人問的な心もとなさを与えているのは、きわめて興味ぶかい。)竜は王国に復響をしはじめる。ベオウルフはこれを捜し出し、これ仁立ち向かい、これを殺すのだが、竜の牙で受けた致命傷のために、まもなく自分も息絶える。
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『幻獣辞典』P.216〜217 |
| ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge
Luis Borges) 1899年8月24日ブエノスアイレスに生まれる。5歳から20歳までをヨーロッパ各地ですごし、古典から当時のベストセラーまで読書に耽る。長編小説と劇作以外のあらゆる文学ジャンルに作品を発表。現代のもっとも重要な作家の一人とされる。 |